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2006年06月15日

国指定史跡 「新宮城跡 附 水野家墓所」

紀州藩付家老で、新宮領主歴代の墓碑が、新宮市橋本の高台に納められています。
墓所の入り口には、水野家の家系や墓碑の配置など解説した看板が設置されています。
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そして、苔むしたゆるやかな石段をのぼると・・・
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新宮領主歴代と親族の立派な墓碑16基が並んでいます。
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墓所の広さは、1864平方メートル、およそ565坪。
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元新宮領主水野家顕彰会の事務局、西村さんのお話によると、
初代新宮領主となった水野重仲は、徳川家康の母方のいとこにあたり、
のちに、家康の10男頼宣の後見役となります。
元和5年(1619年)頼宣が紀州55万石の藩主として和歌山に入国するにしたがって、
重仲も付家老となって、新宮に入り同じ付家として田辺領主となった安藤直次とともに、
紀州徳川家を補佐したということです。

墓所の奥には、「水野家累世之霊塔」が設けられ、初代重仲が元和7年(1621年)に亡くなってから、
和歌山市の直川の全正寺で火葬され、新宮のこの墓所に納骨されたと、同寺の過去帳に
残っているそうです。
昭和3年まで、順次、墓碑が建てられましたが、この地に本葬されたのは、9代忠央だけで、
他の遺体は、鎌倉や四谷のお寺に本葬。
歴代の城主の墓碑がまとまった形で現存しているのは、大変珍しいのです。
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そして、平成15年5月、文化庁から、新宮城跡と併せて、水野家代々の墓所が、
国の史跡に指定されました。 
「新宮城跡 附 水野家墓所」として。

元新宮領主水野家顕彰会では、墓所の保存のために毎月第3日曜早朝から、
落ち葉掃きや草刈りなどおよそ1時間かけて、清掃活動を行っています。


投稿者 nanki : 2006年06月15日 12:17

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